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佐野市とは

佐野市(さのし)は、栃木県南西部(安足)に位置する市。旧安蘇郡。
2005年2月28日に旧佐野市、安蘇郡田沼町、同郡葛生町の新設合併により発足。
人口は12万人で足利市に次ぎ同県第4位、近年は佐野ラーメンとアウトレットモールで有名。

【ご当地グルメ】
●佐野ラーメン


「佐野ラーメン」の歴史は大正初期に始まると言われ、当地に住んでいた中国人のペンさんから発展し、青竹踏みの製麺法を学びました。現在も継承され、値段も安く好んで食べられています佐野ラーメンの中身の中心は名水百選にも選ばれている出流原弁天池湧水にこの地方にあるおいしい水と、細めの縮れ麺、カツオ節でとった透き通った醤油味のスープは年配の方にも好評です。

トッピングはチャーシュー、メンマ、ナルト、ネギなどが主流です。特にチャーシューは食べ応えもあり絶品です。佐野市内に200店舗近くのラーメン店があり、それぞれが佐野ラーメンの味をまもりつつ、あらたな味に挑戦をしています。

●いもフライ

いもフライ(いもふらい、イモフライ)とは、蒸かしたジャガイモを一口大に切り、小麦粉とパン粉などで作った衣につけ、油で揚げた料理。日本全国に見られるが、群馬・栃木両県にまたがる両毛地域と、その中でもとりわけ栃木県佐野市においては常食である。

串に刺してから揚げるのが一般的で、地元産のソースを使用するなどの特徴がある(後述の「ソース」の欄を参照)。

佐野市では、いもフライをメインで扱っている店舗が約30軒と多くある。

【佐野市出身の著名人】
田中正造 - 明治時代の衆議院議員
丹羽基二 - 苗字研究家
石井琢朗 - 広島東洋カープ所属のプロ野球選手
小関竜也 - 西武ライオンズなどに所属していた元プロ野球選手
石川俊介 - 阪神タイガース所属のプロ野球選手
戸叶尚 - 横浜ベイスターズなどに所属していた元プロ野球選手
河口恭吾 - シンガーソングライター
崎山龍男 - ロックバンド、スピッツのドラマー
榊原広子 - 歌手グループ、ダ・カーポのボーカル、作詞担当
大出直三郎 - 民謡歌手。「越名舟唄」などで知られる。
Yumix - タレント
三門順子 - 歌手
二代目神田愛山 - 講談師


【田中正造とは?】
天保12年11月3日(1841年12月15日) - 大正2年(1913年)9月4日)は、明治の代議士。当選6回。足尾銅山鉱毒事件の告発者として有名である。幼名、兼三郎。
下野国小中村(現在は栃木県佐野市小中町)生まれ。名主の家ではあったが、田中本人によれば村では中流でそれほど裕福な家ではなかったという。

足尾銅山鉱毒事件

明治23年(1890年)、第1回衆議院議員総選挙に初当選する。田中は帝国議会でも当初は立憲改進党に属していた。この年渡良瀬川で大洪水があり、流れ出した鉱毒によって稲が立ち枯れる現象が流域各地で確認され、騒ぎとなった。
明治24年(1891年)、鉱毒の害を視察し、第2回衆議院議会で鉱毒問題に関する質問を行った。明治29年(1896年)にも質問を行い、群馬県邑楽郡渡瀬村(現在の群馬県館林市)の雲龍寺で演説を行った。 明治30年(1897年)になると、農民の鉱毒反対運動が激化。東京へ陳情団が押しかけた。当時このような運動には名前がついておらず、農民らは「押出し」と呼んだ。田中は鉱毒について国会質問を行ったほか、東京で演説を行った。農商務省と足尾銅山側は予防工事を確約、実際に着工されるが、効果は薄かった。
川俣事件記念碑明治33年(1900年)2月13日農民らが東京へ陳情に出かけようとしたところ、途中の群馬県邑楽郡佐貫村大字川俣村(現在の明和町川俣)で警官隊と衝突。流血の惨事となり、農民多数が逮捕された。これを川俣事件と呼ぶ。この事件の2日後と4日後、田中は国会で事件に関する質問を行った。これが「亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国の儀につき質問書」で、日本の憲政史上に残る大演説であった。2日後の演説の途中で当時所属していた憲政本党を離党した。当時の総理大臣山縣有朋は「質問の意味がわからない」として答弁を拒否した。この年の川俣事件公判の傍聴中、あくびをしたところ、態度が悪いとして官吏侮辱罪に問われ、裁判にかけられた。なお、川俣事件は仙台控訴審での差し戻し審で、起訴状に担当検事の署名がないという理由で明治35年(1902年)に公訴不受理(一審で無罪だった者については控訴棄却)という判決が下り、全員が釈放された。
明治34年(1901年)10月、田中は議員を辞職した。しかし鉱毒被害を訴える活動はやめず、主に東京のキリスト教会などで鉱毒に関する演説をたびたび行った。
明治天皇に直訴を行う様子が刻まれている「田中正造翁遺徳の碑」 (茨城県古河市) 古河は谷中村=現渡良瀬遊水池周辺最大の都市で支援者も多く、また田中らが上京時に東北本線古河駅を利用したことから現在まで縁の多い地の1つである12月10日に足尾鉱毒事件について明治天皇に有名な直訴を行う。途中で警備の警官に取り押さえられて直訴そのものには失敗したが、東京市中は大騒ぎになり、号外も配られ、直訴状の内容は広く知れ渡った。直訴状は、幸徳秋水が書いたものに田中が加筆修正したと伝えられる。田中は即拘束されたが、政府は単に狂人が馬車の前によろめいただけだとして不問にすることとし(田中本人の言及による)、即日釈放された。



【佐野市の民話 ムカデ退治】
近江国瀬田の唐橋に大蛇が横たわり、人々は怖れて橋を渡れなくなったが、そこを通りかかった俵藤太は臆することなく大蛇を踏みつけて渡ってしまった。その夜、美しい娘が藤太を訪ねた。娘は琵琶湖に住む龍神一族の者で、昼間藤太が踏みつけた大蛇はこの娘が姿を変えたものであった。娘は龍神一族が三上山の百足に苦しめられていると訴え、藤太を見込んで百足退治を懇願した。 藤太は快諾し、剣と弓矢を携えて三上山に臨むと、三上山を7巻き半する大百足が現れた。藤太は矢を射たが大百足には通じない。最後の1本の矢に唾をつけ、八幡神に祈念して射るとようやく大百足を退治することができた。藤太は龍神の娘からお礼として、米の尽きることのない俵などの宝物を贈られた。また、龍神の助けで平将門の弱点を見破り、将門を討ち取ることができたという。